2009年12月09日

恩納節(うんなぶし)

恩納節(うんなぶし)

うんなまちしちゃに ちじぬひぬたちゅし くいしぬぶまでぃぬ ちじやねさみ

17世紀、尚敬王のころの話。
中国の冊封使一行が恩納村に一泊することになり、風紀の乱れを
見せたくないという、役人らしい発想から青年男女の毛遊びを禁止
しました。それを皮肉って詠んだのがこの恩納節です。

この歌は、公事や告示、また社会に害をなす行為に対する禁止令
や戒めの告示板が、恋をするなという禁札ではないので、おおいに
恋をしょうではないか、という内容の歌です。


註:冊封使(さっぷうし)
  中国の皇帝が臣下の国の国王を任命するために使わした使者。
註:毛遊び(もーあしびー)
  農漁村の青年男女が夜間、野外でする交遊。昭和初期まで残
  っていました。



同じカテゴリー(民謡昔話)の記事
毛遊び
毛遊び(2009-12-21 20:02)

かぎやで風の由来
かぎやで風の由来(2009-12-01 14:57)

老人踊り
老人踊り(2009-11-21 20:49)

仲毛の芝居
仲毛の芝居(2009-03-10 21:07)

長伊平屋節
長伊平屋節(2009-01-31 19:49)

牧港小唄
牧港小唄(2008-12-16 20:58)


Posted by タクドラおばぁー at 21:00│Comments(2)民謡昔話
この記事へのコメント
はいさい。こんにちは。

恩納公民館の、
恩納節の碑、恩納ナビィですねぇ。
随分前に、見に行きました。懐かしいです。

恩納松下に 
 禁止の牌のたちゆす
  戀しのぶまでの
   禁止やないさめ

「恩納番所(昔の役場)前の松の木の下に、
色々禁止する内容の立て札が立っているようですが、
まさか恋することまで禁止したものはないでしょう」、
といった意味ですね。

さすが、情熱の歌人とうたわれた、恩納ナビィらしいです。

「毛遊び」の解説は、確かに合ってはいますが、
誤解もまた、多いと思います。

確かに「毛遊び」の「毛」は原野を意味しますが、
集落によって、
アジマーアシビ、ユーアシビと呼ばれる例もありました。

こういった習俗は、沖縄や奄美のみならず、
近代以前まで日本各地にありました。

古くは『歌垣(かがい/うたがき)』と呼ばれ、
男女交際の場で、
恋歌の掛け合いをしながら、
互いの気持ちを確かめ合ったそうです。

当然ながら、
男女関係に至ることも珍しくはありませんでしたが、
「毛遊び」は、
両親をはじめ、親族や共同体公認の場合が多く、
開かれた交際の中から人間関係を築いて、
将来の伴侶を定めるという風習といえます。

沖縄においても、
近年まで、地域の伝統として、受け継がれたといえます。

ただ、
「毛遊び」は、
単に男女の出会いの場であるだけでは、ありません。
民謡、(楽器)演奏技術、舞踊、民話などといった、
固有文化の伝承の場として、
大変に重要な機能を果たしていたといえます。

「毛遊び」で、
技術を競い合うことによって腕を磨き、
即興や掛け合いの中から、
新しい民謡も次々に生み出されたと、されています。

なお、
琉球王朝は、何度も禁止令が出しました。
昭和中期頃まで、地域によっては根強く生き残りました。

最近の若者の中には、
戦後、沖縄に、もたらされたビーチパーリー(beach party)と、
「毛遊び」を混同している人が増えました。

これは米軍が持ち込んだアメリカの習慣で、
休日のまだ陽の高い時間に行われる、
海辺でのバーベキューなどが、おもな遊びで、
沖縄の伝統文化とは違うと、
個人的には考えています。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2009年12月14日 12:48
横浜のtoshiさん>
村々によって、いろんな男女の遊びがあったようさぁ。。
その遊ぶ場所で、呼び名も違うわけさぁ。。
でも、主流だったのが、「毛遊び」。
だから、最後まで残ったのも「毛遊び」さぁ。。(^-^)
Posted by タクドラおばぁータクドラおばぁー at 2009年12月16日 16:07
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。