かぎやで風の由来

タクドラおばぁー

2009年12月01日 14:57

 第二尚氏王統の始祖、尚円王が『金丸』
と呼ばれていた頃、伊是名島から追われ
て小舟で漂着したのが国頭の海岸でした。
その時に金丸を助けたのが、奥間に住む
鍛冶屋でした。
金丸はその後、中部の方に出て越来王子
尚泰久の家臣となり、尚泰久が王位に就くと供に首里城に出仕、内間間
切の領主となります。尚泰久王の死後、尚徳王追放騒ぎの時に、奥間鍛
冶屋が【内間金丸さまこそ我が大主】と絶叫をあげ、群臣がこれに和して
金丸が王位に就いたのです。その時、鍛冶屋が即興で詠んだのが「あた
果報の・・・・」という歌詞で、この故事から『鍛冶屋手風』と呼ぶようになっ
たといいます。

註:正史では護佐丸の兄の安里大親となっており、奥間鍛冶屋とどう結
  びつくのか不明です。
註:尚泰久
  第一尚氏王統六代目の王様、尚巴志王の六男。
註:尚徳
  尚泰久王の三男で第一尚氏最後の王様。
註:内間間切
  現在の西原町。(写真は金丸が住んでいたという内間御殿の現風景)
註:正史
  国家によって編集された王家の歴史書。
註:護佐丸
  尚巴志の北山攻略に従軍した武将の一人。
註:尚巴志
  三山を統一し琉球王国を樹立した。

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