2009年10月04日
尚 寧王(しょうねいおう)
尚永王に跡を継ぐ男子がなかったため、尚
元王の娘婿・浦添王子の子である尚寧が
26歳で即位します。在位32年。
在位中は豊臣秀吉が朝鮮出兵をする事が
決まり、薩摩藩を通して兵士を出すよう要
請されますが、謝名親方がこれに反対し、
薩摩藩からの再三の要請を先延ばしにし
ます。
また、野国総監がサツマイモの苗を持ち帰り根付かせたのもこの頃です。
日本では徳川幕府に政権が変わり、薩摩
の島津義久から尚寧王宛に「家康に臣下
の礼を尽くしに来るよう」書面が届きますが
この返事に即答しかねているところに薩摩
藩の島津から侵攻され降伏します。以後、琉球は日本と明国の二カ国に
両属することになり、尚寧王は薩摩藩によって初めて首里城を離れ江戸
に連行されます。二年後琉球に戻って来ますが、以後薩摩藩の琉球に対
する干渉が厳しくなり、掟15条という誓約書を強制されます。
なお、奄美大島が薩摩に割譲されたのもこ
の頃で、首里城南殿が創建されたのもこの
頃です。
尚寧王は薩摩から帰国すると、按司掟(あ
じ・うっち)を廃し、地頭代を配置します。
儀間真常が尚寧王と帰国するさい、木綿
の種を持ち帰り、これを植えて収穫し綿布を織らせます。琉球での木綿は
これからの始まりです。
また、島津から譲り受けた朝鮮陶工・張献功を那覇湧田に住まわせ、陶
器を教授させています。
尚寧王は57歳で他界しますが、薩摩の侵攻を許した王として、歴代王が
眠る「玉陵」に入ることを拒み、「浦添ようどれ」に祭るように遺言したとさ
れていますが、本当は生れた地の浦添で深い眠りにつきたかったかもし
れません。波乱万丈にとんだ人生を送った悲劇の国王です。
註:謝名親方
久米村出身として異例の三司官に抜擢される。島津の琉球侵攻時に
捕えられ鹿児島に連行されます。しかし、帰国のさい、王・三司官らに
起請文の提出が求められ、ただ一人連判を拒否して斬首されます。
註:野国総監
野国とは拝領地。総監とは進貢船の事務職格。
註:サツマイモ
小禄儀間村(現・那覇市垣花)の儀間真常が栽培法を習い裁植し普
及させる。琉球では「唐芋」という。
註:臣下の礼
琉球船が仙台に漂着したとき、幕府の命で薩摩藩島津を通して琉球
に送り返す事件があった。
註:薩摩に割譲
これまで琉球の領土であった奄美大島が薩摩の領地となった。
註:張献功
豊臣秀吉が朝鮮討伐のおり、諸大名が連れ帰った陶工のひとり。
註:那覇湧田
現在の牧志パラダイス通り辺り。
Posted by タクドラおばぁー at 16:52│Comments(2)
│琉球の歴代王様
この記事へのコメント
よく知ってますね
Posted by 香城美 夢十 at 2013年10月21日 18:25
とても役立ちました!
ありがとうございました!
ありがとうございました!
Posted by ジクロ at 2014年01月05日 19:58