2010年01月10日

尚 穆王(しょうぼくおう)

尚 穆王(しょうぼくおう)尚敬王の長男。14歳で即位。在位43年。
この王様の時代まで貴族以外の家庭
にはまだ位牌がありませんでした。また、屋根の上や門柱に瓦獅子(シー
サー)を乗せる風習ができ、片石を建て「石巌当}を刻むようになります。
さらに、首里城の寝廟殿や世添殿を創建しておりますが、財政的には
赤字で国王の居宅の修繕もままならず大破します。それで江戸上りに
かかる費用や援助を薩摩に申し込んでおります。
尚 穆王(しょうぼくおう)なお、始めて刑法が出来たのも、この
王様の時代で、明和の大津波もこの
時代に起きております。

註:瓦獅子(カーラジーサー)
  赤瓦屋根の家の建築が許される
  ようになって、瓦職人が余ったり割れたりした瓦で中国の石獅子を真
  似て作られたものです。屋根の獅子をみて誰の瓦職人が瓦を葺いた
  のかが分かったといいう。元々は単独であったのが、日本の狛犬の
  影響を受けて二対組になっています。また、これまでのシーサーは寺
  社や城の門、御嶽、貴族の墓陵、村落の出入り口に設置されており
  ました。火避け・魔除け・家の守り神とされています。

尚 穆王(しょうぼくおう)註:石巌当(いしがんとう)
  中国では悪鬼を駆逐する神の名
  前と言われています。悪鬼は曲
  がることが出来ず道に沿って真っ
  直ぐ進む性質のため、その突き当
  たりにある家は不幸が家の中に
  入ってこないようにと、この石巌当
  を置きます。

註:寝廟殿(しんびょうでん)
  先王の神位を祀り、また国王が崩御したさいに霊柩を安置するところ。
  (御内原のはずれ、東のアザナ近くにあった)

註:世添殿
  御内原を管轄する場所。

註:刑法
  「琉球科律」といい、中国・日本の刑書を参考に、沖縄側の事情を
  考慮して作られました。

註:明和の大津波
  八重山列島で発生した地震がもとで、最大85,4メートルの津波が
  石垣島を襲った。海水に洗われた総面積は石垣島の40%に達した
  といいます。



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Posted by タクドラおばぁー at 09:34│Comments(1)琉球の歴代王様
この記事へのコメント
昭和の大津波1771年、宮良、大浜、八重山、約1万人、宮古、約2千人?字が詠みづらいので、参考になれば良いですが!多くの人が被害にあってるようです、自分もしぜんの怖さは、沢山経験しましたが、日頃より、色々な災害に対する知識や訓練が大切だと思います!
Posted by 昊 at 2015年04月02日 15:24
 
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