2009年11月25日

尚 貞王(しょうていおう)

尚 貞王(しょうていおう)尚質王の嫡子、25歳で即位。在位41年。
この王様の即位の礼は首里城正殿が焼失
してまだ再建されておらず、そのため大美
御殿で挙行されました。
正殿建造には久米島の山林から三日間か
けて材木を運び、瓦葺の正殿が完成します。
また、窯場の湧田・首里宝口・知花を壷屋
に集結させたり、民家のない原野を開いて
辻村や仲島村を造りましたが、そこにはジュリが集って居住し客を待つとこ
ろになりました。これが遊郭の始まりです。この時の踊り奉行・幸地賢忠は
国相の羽地にジュリ通いを禁じられますが、ジュリを妾にしたため領地・知
行を没収されます。
また、僧侶が托鉢で銭・米を頂くことを禁じたり、系図座が設置され諸臣は
家譜を二部作成し一部は系図座が保管、一部は王印をもらい各人の家法
としました。この時、姓を賜わり諸臣は姓を名を持つようになりました。


註:大美御殿(うふぅみうどぅん)
  尚清王が王子時代の別邸であったが、首里城御内原の別寮となり、
  冠婚葬祭やお産、城中の女性の休養のための施設になります。ま
  た首里城が焼けたり修築のさいは王も居しました。
  この場所は現在の首里高校敷地内になります。
註:瓦葺(かわらぶき)
  この頃に今の赤瓦葺になります。
註:幸地賢忠(こうちけんちゅう)
  後の譚水親方。
註:系図
  系図を持つ身分を士族とし、持たない身分を百姓として身分制度が
  強化されました。



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Posted by タクドラおばぁー at 17:38│Comments(0)琉球の歴代王様
 
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