2009年12月17日

尚 敬王(しょうけいおう)

尚 敬王(しょうけいおう)尚益王の長男。14歳で即位。在位39年。
この王様の時代は、偉大な政治家、蔡温
をはじめ、各方面に次々と人材がでて、沖
縄文化が花開いた黄金時代でもあります。
14歳で王位に就いて、蔡温を三司官に取
り立て、政治・経済・文化と活力ある時代を
築きあげます。
★最古の地誌『琉球国由来記』歴史書『球
陽』などの編集。★沖縄での最初の学校
『明倫堂』の建設。★古典楽劇『組踊り』の
創作と上演。★絵画・彫刻・その他の工芸の奨励。★干害事業をおこし『羽
地大川の改修』。★宮古・八重山の村落の移動や新設。★農務帳を公布
し、農政・林政を刷新。★下級武士の商工業の奨励などです。また、三北
巡幸のおり、万座毛を命名したとされております。
尚 敬王(しょうけいおう)註:蔡温
27歳で中国に留学し、地理や経済に関する学問
を学ぶ。王子・尚敬の教育係りとなり、尚敬が王
位に就くと三司官にまで引き上げられた。農業・
林業・土木・治水に大きな業績を残す。
註:琉球国由来記
王府による初の琉球国の地誌。各地の番所に資
料を提出させ、集った資料を整理編集したもの。
註:球陽
王家・政治・経済・宗教・社会・文化及び天変地異
などの事柄を網羅し漢文で書かれている歴史書。
註:明倫堂
名護親方・程順則が久米の孔子廟境内に創建し
た琉球の最初の正式な教育機関。明治期まで学
校として機能しますが、その後廃止され沖縄戦で
焼失した。
註:組踊り
踊り奉行・玉城朝薫が、日本本土の「念仏踊り」
「能」「狂言」などを参考にアレンジして発展してい
った芸能で、冊封使の接待式典において上演され、以後、士族階級の間で
尚 敬王(しょうけいおう)尚 敬王(しょうけいおう)楽しまれ、琉球処分後は
庶民の娯楽として発展し
た。
註:羽地大川
羽地は琉球では屈指の
稲作地帯で、大川が氾
濫するたび農民を苦しめ
ていました。そこで、蔡
温は大川に単に堤防を
造るという簡単なもので
はなく、流れそのものを
変えるという難工事を成
し遂げたのです。尚、改
修前は羽地大川という
名前ではなく大浦川と
いい、羽地大川は改修
後に付けられた名前で
す。
註:農政
八重山の農地開拓では多くの人がマラリヤで死亡しました。
註:商工業
当時の鉄匠はクワやスキしか造っておらず、日用品がなかったので、釘・
五徳・剃刀・包丁などの製造、店を開くことも許されます。
(スキ=家畜に引かせて土を掘り起こす農具)
(五徳=3~4本の足の付いた、釜などを乗せる器具)
註:万座毛
尚敬王が山北巡幸のさいに万座毛に立ち寄り、その大きさを見て、「万人
が座するに値する」と言われ、そのことから名前がついたとされる。





同じカテゴリー(琉球の歴代王様)の記事

Posted by タクドラおばぁー at 20:43│Comments(0)琉球の歴代王様
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。